今日はこの話題の極々々簡単な感想エントリーです…
2015年のノーベル医学・生理学賞に北里大学の大村智名誉教授が、アメリカ・ドゥルー大学のウィリアム・キャンベル名誉リサーチフェロー、中国のトゥー・ユーユー氏と共に選ばれました。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、23人目で、医学・生理学賞の受賞は平成24年の山中伸弥教授さんに続いて3人目です。凄いですね。
大村教授は、微生物由来の有機化合物を多数発見し、薬学研究の分野での優れた業績と、寄生虫によって引き起こされるオンコセルカ症やフィラリアなどの発生を劇的に抑えることができる「イベルメクチン」のもととなる「エバーメクチン」など、数々の抗生物質を発見するなどの業績が高く評価されたようです。
大村教授は初めから研究者の道を歩んだ訳ではありませんでした。山梨大学を卒業後、教師を志し、東京都の教員採用試験に合格。定時制高校の教諭となりました。けれども、うまく授業ができず、勉強しなおそうと、東京教育大学の研修生、東京理科大学大学院の修士課程を得て、北里研究所に移り研究者として歩み始めます。
1971年にはアメリカに留学し、コネティカット州ウエスレーヤン大学でマックス・ティシュラー教授の研究室に入ります。マックス・ティシュラー教授は、世界的な医薬品大手企業であるメルク社で中興の祖と称えられる重鎮だったのですけれども、大変評価されました。その理由は大村教授曰く、「学術成果を出したことに加えて、学生の指導もできたこと」なのだそうです。
きっとこれも、定時制高校の教諭経験が活きたのだと思いますけれども、iPS細胞の山中教授といい、ノーベル賞クラスの研究者となれば、一度、横道に逸れたかと思ったことが、後で振り返ってみれば、それが必要な経験だった、というのが多いように思いますね。
留学から1年して、大村教授に帰国要請が届きます。日本では潤沢な研究体制はつくれないと思った大村教授は、新薬の共同研究を提案する代わりにパートナーとなってくれる企業探しを行います。このとき、かつてメルク社で研究所長を務めたマックス・ティシュラー教授の助力を得て、メルク社から当時としては破格の年間8万ドルという研究費を得「産学連携」の先駆けとなりました。
その後、大村教授は、独自性が高く商品性も期待できる動物薬の研究に注力し、1979年、ついに優れた抗寄生虫活性をもつ物質を生成する放線菌を発見します。「エバーメクチン」と名付けられたこの物質から、ベストセラー駆虫薬「イベルメクチン」が誕生します。「イベルメクチン」はアフリカ・中南米に蔓延していたオンコセルカ症やフィラリアなどに優れた薬効があり、この薬によって3億人の命が救われたともいわれています。
今回の大村教授のノーベル賞受賞によって、この微生物分野が脚光を浴び、増々研究が進んでいくことが期待されます。楽しみですね。
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