今日はこの話題をごく簡単に…
10月6日、スウェーデン王立科学アカデミーは2015年のノーベル物理学賞を、東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授とカナダ・クイーンズ大学のアーサー・マクドナルド名誉教授に授与すると発表しました。
昨日、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった大村智氏に続き、日本人24人目の受賞です。なんかもう凄いですね今年は。
梶田教授は、ニュートリノに質量があるときに起きるとされる「ニュートリノ振動」という現象を観測・証明したことで、それまでニュートリノに質量はないとされていた素粒子物理学の定説を覆し、物質や宇宙の謎に迫る素粒子研究を発展させた功績が評価されての受賞です。
「ニュートリノ振動」現象については、2010年のエントリー「光速を超えた素粒子『ニュートリノ』」で取り上げたことがありますので、そちらを参照いただければと思いますけれども、当時、ニュートリノが高速より速いと発表されて、ちょっとした騒ぎになったのですね。
結局、高速を超えたというのは間違いだったと分かったのですけれども、これは、「ニュートリノ振動」を観測するための実験の最中にそういう結果となったというだけで、本来は「ニュートリノ振動」の観測が目的なのですね。
梶田教授は、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊博士の弟子にあたる人なのですけれども、二人の出会いは1981年にまで遡ります。埼玉大を卒業後、東大大学院に進学した梶田氏は、加速器実験に興味を持ち、小柴研究室に入ったのですけれども、そこで、現在のニュートリノ観測施設「スーパーカミオカンデ」の前身である「カミオカンデ」の建設計画を知ります。
梶田氏は、「カミオカンデ」の建設作業に従事し、現場でケーブルの敷設などを手伝う毎日を送り、修士論文も「カミオカンデ」の装置がテーマだったそうです。
そして、1986年、「カミオカンデ」の観測データを解析していた梶田助手は、ミューニュートリノの観測地が計算値よりずっと少ないことに「おやっ」と思います。
カミオカンデがとらえた大気からの電子ニュートリノとミューニュートリノの数を数えたところ、前者は理論的な期待値に合うのに、後者はその6割しかなかったのだそうです。「理由を明らかにしなければ」と計算手法やデータを1年かけて検証し、間違いないことを核心した梶田助手は小柴教授に報告します。「面白い結果だ。チェックは十分でしょうね」と小柴教授から指摘を受けた梶田助手は、更なる解析を続け、上空からやってくるミューニュートリノは計算値通りの数なのに対して、地球の裏側から来るものは計算値の半分しかないことを発見します。
この現象を、ミューニュートリノが地球を突き抜ける程の長い距離を飛んでいる間に、別の種類のニュートリノに変化しているのではないかと考えた梶田助教授は、1994年にニュートリノ振動の可能性を示唆する論文を発表します。
けれども、当時のデータでは、統計誤差を含めると確率99%にしかならず、証明までには至りませんでした。その証明は「スーパーカミオカンデ」の完成まで、待たねばなりませんでした。
1991年から建設が始まった「スーパーカミオカンデ」に、梶田助手は、現場監督役として携わり、1995年の完成後、国際チームを纏めながら膨大なデータの解析を続けた梶田助教授は、1998年、ついに「ニュートリノ振動」の証明に成功しました。
梶田助教授は、ニュートリノ振動の証明を高山市での国際学会で報告したのですけれども、会場は大いに湧いたそうです。当時のクリントン大統領も翌日の演説で「発見は研究室にとどまらず、社会全体に影響を与えるもの」などといったそうですから、その衝撃の大きさも分かろうというものです。
同じ研究室から2人のノーベル賞受賞者を輩出するとは、快挙であるとともに、世界トップレベルの研究所だといってよいと思いますけれども、一つのデータから覚えた違和感を話さず、10年がかりでその原因を発見・証明した梶田教授の姿勢は、研究者の鏡なのだと思いますね。
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