先日、日比野庵プロジェクト第一弾、初ラノベ「異世界の彼女が僕の心を覗き込む」を書き上げて気づいた諸々の事と、簡単な解説(?)の後編です。
5.書くことで見えてくるもの
小説の書き方系のものの本では、完結させることが大事と良く書いてありますけれども、確かにそうです。「短編を書くことができたら長編は書ける、なぜなら長編は短編の連続で作られるからだ」とも書いてあります。それはその通りだと思います。ただ、その一方で長編を書いてみないと見えてこないものもあると感じています。
例えば、表現一つとっても"言った"、"口を開いた"など同じ意味でも表現を変えるのが望ましいと言われますけれども、長編になればなるほど、同じ表現が"被る"確率がどんどん高くなってきます。要するに短編ではみえなかった粗が見えてくるんですね。
また、各エピソード間で矛盾がないかとか、設定に無理がないかとか、話が長くなって始めて綻びが見えてくるものがあるんですね。この辺り、表現力含めて、筆者は力不足を痛感しています。これも長編を書かなければ見えてこなかった部分だと思いますね。
あと今回、本作を書き上げて、学んだ最大のものは、「書き続けていれば、いつか終わる」ということでした。まぁ、言葉で書けば当たり前のことなのですけれども、本当にそうなんです。書き続ければ終わるんです。ホントに。
これを体得できた感じがあるのが最大の収穫ですね。
本作を書き始めたときは、12万字を目標にしていました。ところが書き始めてみると、全然ゴールが見えず、正直何度も挫けそうになりました。そんなときは字数を稼ごうと余計な描写を入れたくなるのですよね。結局、細かいところは置いておいて兎に角、どんどん先に進んで、直しは後からいくらでもすればいいと割り切って、ひたすらラッセルして前に進めました。ブログで一年半越しくらいで書いた「4S炉」も苦しかったですけれども、あれは途中で休止期間もありましたからね。まぁ、あの時の経験があったから何とか書けたというのもあったのですけれども。
結局は、孤独な作業に耐え続けられるのかということなのだと思いますけれども、一度書き上げて「書き続けていれば、いつか終わる」というのが分かりましたから、次もなんとかできるだろうという感触があります。これは筆者にとっての財産ですね。
まぁ、「悩んでいる暇があったら書け」ということでしょうか。
6.評論と小説の思考の違い
小説を書くことと時事評論することとでは、思考形態というか思考プロセスが全然違いました。本作では将棋の話をちらと書きましたけれども、ちょっと将棋に例えてみたいと思います。
時事評論は"時事"というだけあって、今現在のことを取り上げて分析・評論するというのがメインになります。現在只今を分析して、少し先の未来を予測してよりよい結果を導くための手立てを提示する。そういう形ですね。これは丁度、将棋でいえば、ある局面についての次の一手、二手三手を読む作業に相当すると思います。つまり"読み"がその思考の中心となるのですね。その前提として、その局面の駒の配置と能力を読み取れなくてはなりません。
つまり、盤面を切り取って、読者に"局面"として見せ得るだけの調査力と展開力が必要で、その上で、自他の手を深く、広く読む思考力が必要となります。世に数多居る評論家の中で未来予測が良く当たるという人は、その読みの精度が抜群に高いのですね。だから重宝される。
これに対して、小説を書くことというのは、局面を読むのではなくて、"棋譜をつくっていく作業"になります。棋譜というのは、互いの対局者が行った手を順番に記入した記録のことです。先手・7六歩、後手・3四歩とかいうアレですね。こういう具合に棋譜は第一手から詰みまでの百何十手を記録していきますけれども、小説を書くというのはこの棋譜を"架空"で作っていく作業によく似ています。
例えば、第一手で角道を開けて、最後に相手玉を詰める。そこまでの道筋を読ませるのが小説です。その時に詰みに至る道筋が如何に面白いか、感動させるか、そういった"棋譜の出来"が小説の面白さを決めるのではないかと感じましたね。
将棋には定跡とか新手とかあります。定跡とはお互いが最善と考えられる手を行った場合の一連の手のことで、新手はその名の通り、今まで指されたことのない新しい手のことです。これらをそれぞれ、小説に置き直すと、定跡は次の展開が誰にでも知られている"お約束"、新手とは新しいネタとか表現とかになると思います。
また、将棋には、棒銀だとか振り飛車とか様々な戦法がありますけれども、これなどは差し詰め「テンプレ」になるのではないかと思います。「小説家になろう」では、居飛車か穴熊か何か知りませんけれども、"異世界転生"とか"悪役令嬢"という戦法が好まれて指されているということですね。
このように時事評論と小説では、その思考形態というか方向性と質が全然違うものだと感じました。
7.ミステリーと思考と文体
前節では、小説は棋譜を作っていく作業に近いと述べましたけれども、小説によっては少し毛色が違うというか評論に近い思考を要求するものがあります。推理やミステリーといった謎解き要素がある小説です。
推理小説やミステリー小説は、大体最初の場面に事件があって、犯人を捜して推理していくものです。先の将棋でいえば、駒を初期の位置において対局はじめ、ではなくて、最初に「詰み」の場面を見せて、なぜそういう風に詰んでしまったのかという「敗着」の手を探して棋譜を「逆」に巻き戻していく作業になるんですね。
そして、棋譜を撒き戻す途中で、盤面にどういう駒が配置されているのかを少しづつ開示しつつ、何処から何処へ動いていったのかを逆に「読んで」いく工程を得ます。この「逆に読んでいく」部分を書くときに、時事評論をするときに必要な"読み"の能力を必要とします。つまり、小説のストーリーという棋譜を作っていく作業の中に、擬似的にではありますけれども、時事評論で行われる「読み」の思考が入ってくるんですね。
つまり、推理小説やミステリー小説を書くのが一番頭を使うし、別方向の思考能力を同時に求める部分がある。しかもこのジャンルは結構歴史があるし、読者の目も肥えている。その意味では、一番難しいジャンルではないかと思いますね。
因みに本作でもミステリー要素を少しだけ入れていますけれども、38話「裏切り」、39話「希望」で、裕也に謎解きをさせていくエピソードがあります。ここで面白かったのは、最初、裕也に謎解きを語らせていく台詞の口調が、日比野庵ブログ記事の口語調文体になっていたんですね。八割くらい書いてからはっと気づいて、書き直したのですけれども、この時、ああそうか、と思いました。確か深い思考をするときには、母国語で考えているということを聞いたことがありますけれども、それに似たものなのかもしれません。時事評論しているときの思考モードになると、小説を書いているときであっても、それが文体に出てくるのだとすると非常に興味深いですね。
8.書き手に忍び寄る誘惑
この小説を書く作業を将棋を指すことに例えると色々見えてくることがあります。将棋は相手を詰ますことを目的とするゲームですけれども、これは小説では"完結させる"ということに当たります。けれども、この詰ませるということが存外に難しい。この詰ませる(完結)までの過程で次のようなことが往々にして起こります。
a) 詰ませることができなくて、長考に沈む
これは更新停滞ですね。これが長じて持ち時間切れ負けとなると"エタる"ことになります。
b) 詰ませることができなくて、駒を勝手に変身させる
突然、歩が桂馬や飛車になったりするといった駒を突如変えてしまうという行為です。勿論将棋では有り得ません。
これは小説ではキャラクターの性格が突如変わったりする、いわゆる"キャラ崩壊"ですね。
尤も、将棋にも敵陣三段目に入って、"成る"というのがあります。変身といえば変身ですけれども、これはラノベでいえば、差し詰め「覚醒」してパワーアップキャラになることにあたるでしょうか。
c) 詰ませることができなくて、相手が有り得ない手を指して自爆させる
これもよくあるケースです。相手玉が自分の金将か何かの駒の前に出て只取りされるというものです。どうにも詰ませることできないと、苦し紛れに作者が手を伸ばしたい誘惑に駆られる手法です。下手をすると無意識にやっている可能性すらあります。これを小説では俗に「御都合主義」と呼ばれるものになるかと思います。
以前、何かの小説新人賞審査をやった人のコメントで「ストーリーの都合に合わせてキャラが動かされているという応募作が目立った」なんてのをどこかで見た記憶がありますけれども、これなんかも多分そうですね。
d) 詰ませることができなくて、後から後から駒を無限に出してくる
これも誘惑に駆られる手です。盤面と持ち駒だけでは詰ませることができそうにないから、別の駒箱を持ち出して、飛車やら角から何でもかんでも駒を出して、次から次へと打ち込んで、力技で詰ませるというやり方です。これを小説でやると「後付け設定」と呼ばれることになると思いますね。
e) 詰ませることはできたが、遊んでいる駒が沢山ある
これはなんとか詰ませることが出来たものの、持ち駒が沢山残っているとか、詰みに関わりのない"遊び駒"が盤面に溢れているというケースです。将棋番組で詰ませたときに丁度持ち駒がなくなっている状態を指して解説者が「ぴったりですね」とかいうことがありますけれども、それとは違って、あまり綺麗でない詰ませ方です。
これは小説では、多数出したキャラが十分活かしきれずに終わってしまうとか、未回収の伏線や謎が多数残ったまま放置され、読後感があまりすっきりしないことに当たると思います。
9.一般小説とラノベの違い
一般小説とラノベでは色々違いがあるとは思いますけれども、将棋のようなゲームという切り口でみると、ルールの認知度の違いというのが一つあるのではないかと思うんですね。フィクションとノンフィクションの違いというか、要するにその作品世界の世界観を読者が予め知っているか否かという点です。
一般小説が扱う題材は、どちらかというと一般社会といった、「現実にある」世界が対象です。それに対して、ラノベはファンタジーにしても、学園物にしても、異能バトルがあったりして、「非現実的」な世界がメインです。これはゲームに例えるとそのルールを皆が知っているのと余り知らないという違いに相当します。
一般小説は、現実世界を扱うことが多いですけれども、これは、その世界の背景の大凡を読者も知っているということです、これは、囲碁将棋、オセロ、チェスのように誰でもそのルールを知っているということです。これは逆に言えば、ルールや指し方を読者もある程度知っているが故に、有り得ない手や拙い手を指してしまうと途端に横槍やツッコミが入ってくる。つまり叩かれるわけです。それをしないためには作者には、最低限読者と同じかそれ以上の棋力がないといけない。それだけ高いレベルが要求されるんですね。
それに対してラノベが展開する世界観はそれぞれに独自に設定されることが多いです。ゲームでいえば、聞いた事がないようなマイナーゲームになります。読者の多くはそのルールや手筋を知らないがために、言葉は悪いですけれども好き勝手に指しても読者に咎められる確率はずっと少なくなります。なんとなればそういうルールなのだと言い張ることだってできますね。
その代り、そのマイナーゲームのルールを読者に説明して理解して貰わなければならないというデメリットがあります。当然そのゲームルールが複雑で似たルールのゲームすらなければ、一から説明しなければなりませんから理解していただく手間も困難さも格段に跳ね上がります。この辺りをどうクリアしていくか。
ラノベにはそうした課題が付き纏いがちなものなのですけれども、そこはそれ蛇の道は蛇、読者もある程度そうしたものだと分かった上で読んでいるところもありますから、少しはハードルが低くなる傾向があります。特に、ファンタジー系の話ですと、PCでのRPGゲームの普及もあって、読者があらかじめ下地を持っている場合が多いですね。故に、其の手の小説では、余りその辺りの説明の負担を必要としません。無論、読者がファンタジー世界をある程度知っている(ゲームの世界が中心ですが)以上、登場キャラに変な事(ファイヤーボールと唱えながら、氷魔法を使うとか)をさせると、やっぱりツッコミを受けることになります。
ただ、それでも、作者の設定如何でいくらでも世界を弄れる部分がありますから、現実社会を舞台にした小説よりも自由度があります。一般小説のように、現代社会を舞台にすると、それ相応に取材や下調べが必要になりますからね。更にいうなれば、SFや近未来ミリタリー物とて、ある程度はそれっぽい設定と理屈がないと読者、とくにマニアが許してくれませんからね。その意味ではRPG系ファンタジーは手が出しやすい分野だといえるでしょう。
10.今作の自己評価
では、そういうお前の作品の棋譜はどうなのか、ということなのですけれども、一言でいえば「とても汚い棋譜」だと思っています。細~い攻めを繋いで繋いでなんとか詰めにまで持っていけたというだけで、美しい棋譜ではないです。もっといい綺麗な詰ませ方もあるのでしょうけれども、現状の筆者の力ではあれが精一杯だったかな、と思います。途中かなり強引というか苦しい手筋もありましたし。
特に中盤からの流れと各種小道具とギミックの辻褄合わせが非常に苦しくて、第三章は何度も指し直し(プロット組み換え)しています。具体的には、「クレスト」の扱いが非常に難しかった。ミローナが好き勝手に動くのを邪魔しないで、かつストーリーをキープさせるのが厳しかったですね。御蔭で、スマートさが失われ汚い棋譜になってしまったなと思っています。まぁ、それでも詰ませられないよりはいいのですけれども。
ただ、書いているうちに、メキメキではないですけれども、"小説を書く力"が身についていくという感覚はありました。プロローグは何度も書き直したのでアレですけれども、第2話から第5話辺りまでと第40話以降では、自分の中で随分ノリというか筆の運びが違いました。一言でいえば「慣れた」ということなのだと思います。
けれども、第40話辺りを書いているあたりで、第一章の所々の表現不足が気になって、情景描写や心理描写を大分加筆・修正しています。ただその加筆がパッチを当てるかのような継ぎ接ぎで全体としてみたときのバランスの悪さを若干感じています。その辺りは直し切れませんでしたから、今後の課題ですね。もう少しプロット段階でがっちりしていると迷いなく書けたかもしれません。
ただ、プロットを固め過ぎてしまうと、ミローナの様に自由にキャラが動き出したときに、逆にブレーキになってしまうので、そこはある程度の柔軟性というか、プロットを組み直すくらいの覚悟はいるかもしれません。そうなると、また全体整合をとるための設定追加やエピソードの加筆が必要になったりします。この辺りが小説の楽しいところでもあり難しいところだと思いますね。
あとは、地の文での心理描写と視点人物の切り替えも課題です。三人称一元視点といっても、視点人物以外の心理描写が御法度という時点で、大枠では結局一人称です。第一章を書いている間は、地の文には視点人物でさえも、一切心理描写を入れてはいけないと思っていましたから、無茶苦茶書き辛かったです。状況説明をひたすら地の文で延々とやったりしてました。
その辺りの転換点は第23話の「潜入」辺りからです。第一稿ではこの話には台詞が一切ありませんでした。全部地の文で書いてました。ある時、台詞で説明させればいいんだと、はっと気づいて全面書き直ししています。
この台詞で説明させる、登場キャラの掛け合いで説明させるというのは、17話「逸材」、18話「テレポーター」でもやっていますけれども、この2話は50話くらいを書いていたときに加筆で差し込んだエピソードです。ですから、最初からそのように書くことができました。
また、視点人物の切り替えも全然甘い。ヒロインに視点を当てて、ヒロインの心理描写までしたエピソードの直後に主人公が登場したときの視点切り替えなどは、もうどうしたらよいのやら……。今でも良く分かっていません。
このように全体としてみると、筆者も本作の完成度はそれ程あるとは思っていません。寧ろ粗削りもいいところです。この程度では、やはり賞に応募したところで、一次選考も通過しないのでしょうね。
ただ、このように本作を書きながら力をつけた、というのは語弊がありますけれども、色々と勉強になったことは確かです。やはり、兎に角、どんな形であれ、長編を一本書き上げるというのは非常に大事なことではないかと思いましたね。
11.今作の客観的評価
では、次に客観的評価はどうかということなのですけれども、これはもう、評価ポイントとか、感想欄をみるのが一番ですね。今回の作品のポイントは50pt(ブクマ20件+文章、ストーリー評価10pt:2016/4/10現在)でした。左程というか殆ど評価されていません。「小説家になろう」では総合評価100ptを越えると底辺作家を卒業したと見ていただけるらしいのですけれども、その基準でいけば、底辺作家の中の並という評価になります。
ただこのポイントだけだと、何処が良くて何処が悪いのかといった次に繋がる部分が見えてきません。まぁ文章評価、ストーリー評価というのが一つの目安にはなりますけれども、項目としてざっくりし過ぎていて、書き手としては物足りない。キャラの立ち方とか、構成力とかもう少し細かい項目が欲しいところです。
けれども、本作では有り難いことに、レビューを含めて12件もの感想をいただいています。それを読ませていただくと、次の長所と短所があるようです。
長所:先が読めない展開。設定が細かい。
短所:話の展開が遅い(序盤時)、一つ一つエピソードが物足りない(あっさりし過ぎている)
また、世の中は良くしたもので、「小説家になろう」などで余り評価されていない作品の中にも面白い作品がある筈だということで、そういう作品をわざわざ探して紹介してくださる人々がいるんですね。巷ではそうした人を、掘り出すという意味でスコッパーと呼ぶそうです。
で、本作もスコップしていただきました。次の2chスレです。
【荒らし】小説家になろうおすすめ・雑談スレ 3冊目【厳禁】
【荒らし】小説家になろうおすすめ・雑談スレ 4冊目【厳禁】
こちらの内容をみると、「設定がしっかりしている」、「先の展開が読めない」を評価いただいています。どうやら、この二点が外から見た本作の強みとみていいかもしれません。
では作者からみてそこを意識していたかといえばなのですけれども「先の展開が読めない」というのは確かに意識していました。先が読めてしまうと次話を読んで貰えないかと思っていたからです。本作は異世界と銘打っていますけれども、テンプレ作品ではないですからね。だから、パタンを外すのはやろうと思えばできなくもない。逆に先の読めない展開はテンプレの方が難しい筈だと思います。パタンに乗っているからこそテンプレですからね。
もう一方の設定がしっかりしている、というのは、実はそれほど意識はしていませんでした。ただ、プロットの辻褄合わせで設定を何度も作り直してましたから、あるいはそれが功を奏したのかもしれません。
次回作はこの2点を消すことなく、完成度を少しでも高めたいですね。
12.なろうの傾向
「異世界転生」「悪役令嬢」といったテンプレに溢れた「小説家になろう」ですけれども、何故そうなっているのかについては色んな方が分析解説しています。曰く「鬱展開はNG、ストレスフリーでないと駄目だ」とか「現実社会が余りにも厳しいからそこからの逃避行動の一種として俺TUEEEが好まれるのだ」というのがそうですね。こちらのブログではズバリ「人間の持つ本能を計算して作られており、ヒトという動物を気持ち良くさせるという一点に徹底して構成されています」と論じています。確かにそうかもしれません。
筆者はまだ「小説家になろう」に登録して半年たったくらいのビギナーですけれども、他の作家さんの作品を読んだりした範囲で感じたことは、「小説を読む」というよりは、「RPGゲームのゲーム実況を見ている」に近いものがあるように思いましたね。確かにRPGの勇者は最初から、そのゲームのエリア或いはシナリオ内では最強ですからね。強くなるときだって、強力なアイテムを手に入れるか、何かのきっかけでチート能力を得たりするパタンですからね。RPGで、勇者が鬱になったり、ライバルにコテンパンにされて修行に明け暮れるなんてのは見た記憶がありません。その意味では、小説よりゲームシナリオに近いのかなぁと思ったり。
もちろん本当のところはどうか分かりませんし、累計上位もそんなのばかりではない筈だと思っています。ただ、次回作はこの辺りも意識したいところです。
ただ、まぁ、こんな風に次の課題とか目標を挙げたりできるのも、本作という長編を一本書き上げたからこそできる訳で、やっぱり一本完結させたのは大きいな、と。
……とここまで約8500字相当。書くのに都合4~5時間かかっていますね。調べもの一切なしで書くことが決まっている状態で、これくらいです。なんだかんだ言って10万字を超えるのは簡単なことではないと思います。

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これは、研究、開発でも同じですね。既成の常識では行き止まりだけど、谷があればどうやって渡るか、山があればどうやって登るか、、、とその場で足掻くと、思いもよらない天与の閃きで良い解決策とか手がかりとかが見つかり、それを切っ掛けに前進する事もあります。武道の鍛錬でも基本練習が大事なように、創作活動では手足を動かし、ひたすら考える事で道が開けるのだと思います。
でも、怠け者の心が囁くと色々理由を挙げて演らないようにして、距離を置こうとしますが、ちょっとした切っ掛けでふたたび気になって来て再開する。その繰り返しでしょうか。芸術家肌な人で情緒的に創作する人は浮き沈みが激しく結果が出ないけど才能はある、、、一方、何も閃かないけど、毎日同じ基本作業(練習)で職人のように同じ物を検証するでしょうが、長い時間をかけて欠点を改善し、匠へとなっていく。どちらも能力はあるけど、創作量は後者ですね。まずは量をこなさないと自信も何も得られないし、、、ある程度の能力、力量に達してから、チャレンジするのが日本人らしいのかもしれません。つまり、保守的な若者、過激な老人です(笑)。老人達よ、もっとカブキましょう。若者へクソジジイとかクソババアと呼ばれてもいいじゃないですか。でも最後は花咲かじいさんになりたいですね。
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が
しました
スコ速で紹介されてました。
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が
しました
お祝いの御言葉有難うございます。
昨日の夜にPVを覗いたら、爆発的に増えていたので、吃驚した次第です。
初めて、見間違えたか、と二度見、三度見してしまいました。
二桁PVがいきなり四桁ですからね。凄すぎます。
スコ速纏めで紹介いただくとこれほど凄いのか、と驚くばかりです。
俄然、次回作へのモチベーションが……(笑)
今後とも御愛顧いただきますようお願いいたします。m(__)m
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