今日はちょっと雰囲気を変えてこの話題を極々簡単に……
1.合成開口インターフェロメトリ
6月2日、東京大学生産技術研究所の浅田昭教授、飯笹幸吉特任教授らの研究グループが、伊豆諸島・青ヶ島沖の海底熱水鉱床で高濃度の金を含む鉱石を発見したと発表しました。
熱水鉱床については、以前「養殖される海底資源と海底探査技術」のエントリーで、今回調査では「合成開口インターフェロメトリ」という技術が使われました。
この技術は「合成開口ソナー」と「インターフェロメトリソナー」の二つの技術を組み合わせたものです。
合成開口ソナーは、移動しながら音波を海底のある特定の部位に照射し、返ってきた音波を一つに合成することで高解像度の高解像度の音響画像を作成する技術です。
そして「インターフェロメトリソナー」とは、複数の受波素子を縦方向一列に配置し、時間毎に角度の位相差を検出ぢ、それらの受波信号の位相差から良好な海底イメージを取得する技術です。
これら二つの技術を組み合わせた「合成開口インターフェロメトリソナー」によって、海底の3D音響画像の作成ができるようになりました。
研究チームは、2015年6月に海洋開発研究機構の海洋調査船「よこすか」と海中ロボット「うらしま」に、この合成開口インターフェロメトリソーナーを装備し、東青ヶ島カルデラ内に鉱床候補の的を絞った3次元音響画像探査を実施し、三区画の熱水鉱床を発見しました。
研究チームは去年6月から9月に掛けて、青ヶ島東方約12キロにある東青ヶ島カルデラを調査し海底熱水鉱床を複数発見したのですけれども、このうちの一つ、中央火口丘南麓の水深750メートルの海底熱水鉱床は、高さ20m、直径40mほどの円錐形のマウンドに、高さ30メートル程の巨大なブラックスモーカーチムニーがあり、ここから15個の試料を採取しました。採取した試料は、亜鉛・鉛に富む塊状硫化物および重金属泥で、金、銀を多量に含み、銅、鉛、バリウム等も含んでいたそうです。
金の最高の濃度は1トン当たり275グラムで、平均値は102グラム。更に、0.003~0.09ミリの大きさの金粒子も確認できたそうです。
世界の主要金鉱山の平均は、1トン当たりおよそ5グラムです。金含有率が飛び抜けて高いことで有名な鹿児島の菱刈鉱山でも1トンあたり40グラム超ですから、今回発見された青ヶ島沖熱水鉱床の金含有率はとんでもない値だということが分かります。
研究チームの浅田教授は「今回は有望な試料を選んで分析したので、金が高い濃度で出たと考える。熱水鉱床周辺での金鉱石としての濃度は、今回の10分の1くらいだろう」とコメントしていますけれども、それでも十分高い値ですね。
やはり、日本の海底資源は有望ですね。
2.現在の鬼ヶ島
今回発見された熱水鉱床を有する青ヶ島は、伊豆諸島の最南端。東京から358キロ南に位置する島です。人口160人ほどのこの島は、断崖絶壁に囲まれ、少しの高波でも着岸が不可になるほどの難所。空路も八丈島から東京アイランドシャトルという9席しかないヘリが一日一便のみ。まさに絶海の孤島です。
青ヶ島は、世界的に珍しい二重カルデラを有し、中央火口丘は丸山と呼ばれています。火口の中の平らな所はほとんど自然林で、里は外輪山の外側の少したいらな所にあります。
その昔、外界との交流が殆どなかった時代は、牛や豚や鳥を飼い、野菜も良く育ち、島の外から何も買わなくても自給自足で生活していたようです。
この青ヶ島は、一説には、民話の桃太郎に出てくる「鬼ヶ島」のモデルになったのではないかとも言われています。鎌倉時代に書かれた「保元物語」に出てくる「鬼ヶ島」の記述がこの「青ヶ島」とよく似ていると指摘されています。
「保元物語」から該当部分を引用します。
明け方にはもう島影が見えたので、漕ぎ寄せたが、荒磯で波が高く、岩が煩わしくて、舟を寄せようもない。廻ってご覧になると、戌亥の方角から小川が流れている。御曹司は西国では舟をよく訓練なさっていたので、舟を損ずることもなく押し上げてご覧になると、身の丈一丈あまりもある大男で、髪を上向きに押し上げていて、身には毛がひしと生えて、色が黒くて牛のようなのが、刀を右腰に挿して多く現れた。確かに青ヶ島とよく似ていますね。
恐ろしいなどということすらできない。申す言葉も聞き知らないけれども、大方推量して意思疎通する。「日本の人はここに島があるとは知らないので、自分からはまさか渡ってこない、風によって流れ着いたのだろう。昔から悪風にあって、この島に来た者が生きて帰ったことはない。荒磯なので、自然と来た船は波に打砕かれる。この島には舟もないので、乗って帰ることもない。食べ物もないので、そのまま死んでしまう。もし舟があるのならば、食料が尽きる前に本国に帰りなさい」と申した。郎等たちは皆好奇心を失っていたが、為朝は少しも騒がず、「磯に舟を置いたので、波に砕かれるだろう。高く引き上げろ」と、はるか上に引き上げる。
そうして島を巡ってご覧になると、田もなく、畑もない。絹や綿もない。「お前たちは何を食べているのか」と尋ねると、「魚や鳥」と答える。綱をひくようにも見えず、釣りをする舟もない。またはがも立てず、もち縄もひかない。「どうして魚や鳥を取るのだ」と尋ねると、「私達の果報だろうか、魚は自然と打ち寄せられるのを拾って取る。鳥は穴を掘って、領分を分けてその穴に入り、身を隠して、声を真似て呼ぶと、その声について鳥が多く飛び込むのを、穴の口をふさいで、闇取りにするのである」という。本当に見ると鳥穴が多い。その鳥の背はヒエドリほどである。
為朝はこれをご覧になって、例の大鏑で、木にいるのを射落とし、空を飛ぶのを射殺しなどなさったので、島の者たちは舌を震わせて驚いた。「お前達も私に従わなければ、このように射殺すぞ」とおっしゃると、みなひれ伏して従った。身に着るものは網のような太布である。この布をおのおのの家から多く持ち出して、前に積み置いた。島の名を尋ねると、「鬼が島」と申す。「それならばお前たちは鬼の子孫なのか」。「そうでございます」、「それなら世に聞く宝があるならば取り出せ、見たい」とおっしゃるので、「昔まさしく鬼神であったときは、隠れ蓑、隠れ笠、浮かぶ履、沈む履、剣などといった宝物がございました。そのころは舟がなかったけれども、他国にも渡って、日食の際に人の生贄などもとりました。今は果報も尽きて宝物もなくなり、姿も人になって、他国へ行くこともかないません」という。「それならば島の名前を改めよう」と、太い葦が多く生えていたので、蘆島と名づけた。この島をいれて七島を支配する。これを八丈島の脇島と決めて、年貢を運送するように申し渡すち、「舟がなくてどうすればよいのでしょう」と嘆くので、毎年一度舟を遣わすことを、約束した。ただ今来たしるしとして、例の大男を一人連れて帰りなさる。
桃太郎伝説の原話の形成は室町以前と考えられているそうですけれども、滝沢馬琴は『燕石雑志』の中で、鎌倉時代初期に書かれた『保元物語』の為朝の鬼が島渡りを擬して桃太郎の鬼ヶ島征伐の物語が成立したと考察しています。また、国文学者で俳人の志田義秀は『日本の伝説と童話』の中で、為朝が鬼が島に渡ったときに昔鬼だった島人が今では島に宝がないと言っていることから考えて、おそらく鬼ヶ島宝取伝説は『保元物語』の成立した頃にすでに存在したのだろうとしています。
沖合に有り得ない程の高い含有率の金を含む熱水鉱床を持つ青ヶ島。それが鬼ヶ島のモデルだったのだとすると少しロマンを感じてしまいますね。
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