今日はこの話題です。
ネットと既存メディアの攻防が激しさを増しています。
昨年12月、講談社の「フライデー」が俳優の成宮寛貴さんのコカイン吸引疑惑を報じると、編集部には抗議の電話が殺到したそうです。
報道直後に所属事務所が「事実無根」と否定したのですけれども、その1週間後に成宮さんが「これ以上自分のプライバシーが人の悪意により世間に暴露され続けると思うともう耐えられそうにありません」と芸能界引退を発表しました。
この騒動について、講談社の乾智之・広報室長は、批判が一気に広がった背景に「ネット、とりわけ『まとめサイト』の影響があった。……、単純化された断片情報によって批判が高まっていった」とコメントしているようです。
『まとめサイト』とは、ある話題にまつわるサイトや文章などを一つの記事にまとめ、そうした記事を話題ごとにたくさん掲載してあるサイトのことですけれども、ネットにはこうしたまとめサイトは乱立していて、今や「『まとめサイト』のまとめサイト」すらあるほどです。
先に紹介した講談社の乾氏はまとめサイトについて「単純化された断片情報」と述べています。まるで「まとめサイト」を読むのは危険だと言わんばかりのコメントですけれども、たとえ断片であっても情報があるのと、最初から無かったことにされるとの間には大きな開きがあります。
確かに、情報が出た時点でそれがデマなのかどうかを見分けるのは難しいものがあります。これまではそこのところを、クオリティペーパーとゴシップ誌に分けて区分していたと思うんですね。
ゴシップ誌にデカデカと煽りタイトルで載る記事は、注目を集めますけれども、記事の信頼性には疑問符がつく。でもそれは、ゴシップ誌に乗ったゴシップ記事だから話半分だくらいの暗黙の了解みたいなものがあった。逆に記事を載せる方にしても、怪しい記事はゴシップ誌に、きちんと裏を取った記事はクオリティペーパーへという具合に使い分けができた。これはこれで、一つの方法だと思います。
ただ、方法で押さえて置かなければいけないのは、情報の質の確保と線引きをきちんとしておくということです。例えば、裏をとっていないゴシップ記事をクオリティペーパーに乗せたり、真実の記事をゴシップ誌にしか載せなかったりすると、これはミスリードになる危険があります。昨今、マスコミがネット界隈に叩かれているのは、主にこの部分ですね。つまり、クオリティペーパーがゴシップ紛いの記事を平気で乗せているのではないか、という不信感です。
近々では、民進党の蓮舫代表の二重国籍問題について主要クオリティペーパーが殆ど報じないことですね。これも不信感を誘う原因の一つだと思います。
ただ、二重国籍問題について、お笑いのビートたけし氏は、こちらの記事で「ちょっと、やっぱり、野党第1党の民進党が蓮舫を担ぎ出してるのがおかしいよ。力ないもん。もし政権交代したら、蓮舫が総理大臣かい? 有権者だって、あれに政権渡すわけないじゃん。冗談じゃないよ。二重国籍なんてスパイみたいじゃん。台湾経由の中国のスパイだったら笑うだろうね。アブねーって」と批判しています。
けれども、この記事は東スポなんですね。これは、先に上げた例の後者、つまりゴシップ誌とまでは言わないまでも、クオリティペーパーでない誌面に取り上げるべき記事を載せる例です。ただ、このやり方はどんなに真実を突くものであったとしても、殆どガス抜きにしかならないということです。一時的な効果があったとしても、メディアに対する不信感を拭う根本対策にはならないですね。
また、芸能界などのゴシップ記事にしても、ネットで散々話題になっているものを、テレビでは全くスルーするなど、ここにも不信感の芽が出始めているようにも思います。
これについて、ダウンタウンの松本人志さんは、1月1日放送の「ワイドナショー」で、「ネットで散々上位に上がっているのに、ワイドショーでは一切扱わないこの違和感は、テレビ業界の人たちはもうそろそろ気づいてほしい。じゃないとテレビはどんどん時代遅れになっていくし、芸能界ってやっぱり変な世界やなって、どんどん、一般社会と離れていっちゃうのが僕は寂しいというか、悔しい」とコメントしています。
既存メディアはこういうところを自己改革していかない限り、ますます「まとめサイト」の方に人が流れていくのではないかと思いますね。
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