今日はこの話題です。
森友・加計問題で、世間にも「フェイクニュース」という言葉が段々と知られるようになってきたように思います。
その名のとおり、「嘘のニュース」また、そればかりでなく、都合のよいところの「切り貼り」も横行しています。
加計問題で、国会閉会中審議に参考人として呼ばれた元愛媛県知事の加戸氏も、メディアのつまみ食いについて批判していました。
それについて、青山繁晴参院議員は櫻井よしこ氏との対談で、その点を指摘しています。一部引用すると次のとおりです。
青山繁晴「加戸前知事のインタビュー記事を載せたのは産経読売愛媛新聞だけ。TBSは加戸氏自宅に多くのスタッフを送り込み、前川が加戸氏を嘲笑するような事を言ってると。加戸氏はそれを笑い飛ばして否定したが、その部分だけカットして前川が加戸氏をけなしてる所だけ放送した」筆者も同感ですね。一番の当事者で、肝心要の部分を証言した加戸氏の発言をカットした時点で、"事実を"報道する積りがないことを白状したも同然です。青山議員が「メディアの終わった日を自分で演出した」というのも道理です。
青山繁晴「今回一番浮かび上がった大きな問題の一つはNHK。審議を全部生中継していたが、夕方以降のニュースでは加戸氏をいない事にした。これはメディアの終わった日を自分で演出した。なぜいない事にするか、それは今までの報道振りを全部覆す内容だったから。前川の発言は全部抽象的な話だった」
青山繁晴「加戸氏が友達と言った瞬間に野党から批判的な声が出る。はっきり言って愚者の塊。県会議員と学校関係者が友人だといけない、そんな世界がどこにある? 贈収賄などがあれば話は別だが、ただ仲良かったから問題と言うのはおかしい。米兵にこの話をするとジョークだろと言われる」
ネットではテレビや新聞が偏向していると所々で耳にします。相当拡散されているのを感じます。ただ、それでも世論調査を見る限りでは、その"偏向"に見事に引っ掛かっている人がまだまだ多いのも事実です。
フリージャーナリストの烏賀陽弘道氏は近著「フェイクニュースの見分け方」で、一般の受け手が情報の真偽を見抜くためのポイントを述べています。
なんでも、烏賀陽氏によると、自分の仕事が減っても構わないと思って書いたのだそうです。
こちらにこの本の紹介があるのですけれども、目次を見るだけでもポイントが分かりますね。特に筆者が注目したのは、第3章と第6章です。次に引用します。
第3章 発信者が不明の情報は捨てよざっとみても発信者の素性やその人がデータをどう扱っているかを注目すべきだということが見て取れます。
匿名者が発信する情報は信じるな/主語が明示されていない文章は疑う/組織が主語を消す/匿名の朝日記者/「関係者」はオールマイティ/新聞記者はなぜ匿名でもいいのか/「炎上」を過大評価するな/匿名ネット発言はデマの温床/信用できる匿名者とは/書き手の独断的な価値判断/印象操作の蔓延
第6章 発信者を疑うための作法
発信者が多すぎる/フォロワー数は信用を保証しない/引用の正確さで見分ける/定義に正確な言葉を使っているか/言葉の定義を疑う/スラップ訴訟/発信者の名前をアマゾンで検索してみる/キャリアも重要である/本を出すことの意味/「媒体」よりも発信者で選ぶ/「専門家」が事実に正確あるいは中立とは限らない/何の「専門」家なのかを確認する/ステマと専門家
今のネットでは、例えば"デマノイ"と揶揄される野党議員や"シナ様のN○ケー"と批判されるテレビ局があったりしますけれども、既に発信者が誰かでその真偽に一定の警戒を持つようになっています。
今すぐ、国民の多くが「フェイクニュース」を見分けられるようになるとはいいませんけれども、一定上の人がフェイクニュースを見分けられるようになることは非常に大事だと思いますね。
コメント
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そして、今や選挙をの動向を左右しているのはそういう方々なんですよ。
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