今日はこの話題です。
3月23日、菅官房長官は、記者会見で、安倍政権が検討する放送制度改革に関し「通信の技術革新などにより放送と通信の垣根がなくなってきており、そうした状況を踏まえて対応を検討する」と述べ、見直しの必要性を強調しました。
政府が進めている放送法改革は、放送局に番組基準の策定や番組審議会の設置を義務付けたり、教養、報道、娯楽など番組ジャンルの調和を求めたりしている規定を撤廃し、一企業による多数のマスメディア所有を禁じた条項や外資規制も廃止。更に地上放送の組織に関する放送法の例外規定を撤廃し、既存局を、番組を供給するソフト部門と、放送設備を運営するハード部門に分離したい意向があると見られています。
この改革案について、経済評論家の池田信夫氏は、中身は10年前に話題になった情報通信法案の焼き直しであると指摘しています。
当時、情報通信法案は、放送と通信の融合などの見地から立法が検討され、「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」の中間提言において提唱されたのですけれども、その中で、法体系を「縦割り」から「レイヤー構造」へ転換し、コンテンツとインフラの規制を水平分離する案が検討されていました。
ところがこれは、放送業界の反対でつぶされたのですね。
これについて、池田信夫氏は「テレビ局の電波とコンテンツを分離して参入を自由化すれば、コンテンツ制作能力のない携帯キャリアがテレビ局の中継局を買収し、携帯向けコンテンツを大量に流すことも可能になる」として、水平分離を阻止することが、テレビ局の既得権益を守ることになるのだと指摘しています。
確かにその指摘は当たっています。ネットでは俗にいわれる「ユーチューバ―」が独自のコンテンツを作り出しては、ユーチューブという共通インフラに乗っけて公開しています。つまり、ネットの世界ではとっくに水平分離が為されている訳ですね。
その結果、ネットでは多種多様なコンテンツで溢れるようになりました。
ですから、安倍政権が進める放送法改革が実現すると、ネット動画とまではいかなくとも、イメージ的には二様な多種多様な番組が作られるのではないかと思われます。
このように官邸は放送法改革を進めていますけれども、それに難色を示しているのが総務省です。
3月22日、野田聖子総務相は衆院総務委員会で、無所属の会の原口一博氏の放送法4条についての質問に対し「撤廃した場合には公序良俗を害するような番組や事実に基づかない報道が増加するなどの可能性が考えられる」と述べています。
確かにその可能性はあります。けれども、そのロジックは今のネットにもそのまま当てはまります。ネットの歴史はまだ浅いですけれども、多くのユーザーが使用する中で、報道については段々とこなれてきています。
確かにデマや伝聞が存在することは否定しませんけれども、それは他の人から指摘されたり、逆の見解が示さりして牽制されるのが普通です。ネットではソースを提示しない書き込みは信頼が高いとは見做されません。
逆にそうしたチェックが働いているが故に、テレビ報道の"偏向"や"報道しない自由"が叫ばれるようになっているのですね。実際、切り取り報道でもしようものなら、忽ちのうちに証拠付で晒されてしまうのがネットです。
森友問題にしても、反安倍一辺倒のテレビ番組に対し、ネットを使っている層は様々な情報を収集し、冷静に判断しています。ひと昔前ならいざ知らず、今の現状をみる限り、放送法の必要性は大分薄れてきているのではないかと思いますね。
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