昨日の続きです。
野党6党が国会審議に復帰検討していることについて、やはり世論の批判が効いているようです。
5月3日、希望の党の玉木代表はインターネット番組で「地元や親からも言われる。『そろそろ出たほうがいい』と…」 と述べ、立憲民主党の福山哲郎幹事長は5日の読売テレビ番組で「少し事情が変わった」 と復帰検討の理由について語りました。
散々、与党を批判しておいてこの腰砕け。パフォーマンスをしても、国民は、いや、野党支持層でさえからも、審議拒否は駄目だと見られていたという訳です。
残ったのは麻生財務相も安倍総理の首も取れず、徒に国会を空転させたという実績だけ。与党内では「どう起きる(審議復帰)か考えてから寝て(欠席)ほしい」と冷ややかな視線を送っているそうですけれども、当然そうでしょうね。
立憲民主党の辻元国対委員長は「今までは『対話のための圧力』だった。いろいろあったが粘って良かった」と記者団に語っていますけれども、何が良かったのか。
まぁ、あえて挙げるとすれば、野党が「対話のための圧力」の有効性を認めたということでしょうか。
北朝鮮に対して圧力ではなく対話だ、散々いっていたくせに、自分達の戦術は「対話のための圧力」だという。ダブルスタンダードはいつもの事とはいえ、現実に北朝鮮がポーズだけかもしれない疑念があるとはいえ軟化の姿勢を見せたことは、「対話のための圧力」、経済制裁が効いた何よりの証拠ですね。
5月3日は各地で護憲派集会が行われましたけれども、登壇した立憲民主党の枝野代表は「そもそも単純な多数決が民主主義なんでしょうか。単純な多数決が正義なんでしょうか。久しぶりに会った友人たちで飯を食いに行こう。ある人は焼き肉が食べたいといい、ある人はすき焼きが食べたいといい、ある人はすしが食べたいという。意見が分かれたら多数決で決めるのもいいでしょう。でも、その中に例えば、そばアレルギーでそば屋には行けないという人が1人でもいたら、それ以外のお店から選ぶ。これが本来の民主主義です。みんなでみんなのためにものを決める本当の民主主義というのはそうしたものです」と述べました。
けれども、この譬えでいえば、肉アレルギーの人や米アレルギーの人がいるなどして、どの飯も食べられないケースだって当然出てくる訳です。その時は食べないという選択にするのか。そしてそれは全体の意思であり、全体幸福に結びつくのか。
全体の幸福を最大化するのを目指す筈なのに、一人の幸福に配慮して全体を不幸にする選択を続けていけば、その行きつく先は滅亡です。
だからこそ、民主主義では最終的な決をとるときに多数で決することとし、その前提として様々な意見を戦わせて議論を尽くす必要があるのですね。けれども、野党6党は審議拒否をして、その議論の邪魔をした。矛盾も良い所です。
さらにはその議論を尽くす前提として、表現・言論の自由が保証されていなければならないのですけれども、日本はそれもちゃんと保証しています。
先の護憲派集会では、作家の落合恵子氏が安倍内閣を「戦争大好き内閣と呼ぶしかありません」と断じ、安倍総理は「独裁者は自らの欲望のために最後は破滅する」と主張していました。
また、群馬県高崎市での護憲派集会では、安倍総理をヒトラーに模したコラージュ写真が映し出されました。
これは、ヘイトスピーチも裸足で逃げ出す程の酷い人権侵害だと思います。けれども、批判の声はあれ、集会そのものや主催者を処罰したという話は聞きません。
5月5日、ロシア全土で反プーチン政権のデモを呼び掛けた野党指導者のナワリヌイ氏が違法な集会を組織したとしてモスクワ中心部のプーシキン広場で拘束されたそうです。
また、昨年、中国人がネットに習近平主席を"習肉まん"と悪口を書いただけで拘束され、「指導者の名誉を傷つけ社会秩序を乱した」という理由で懲役二年の実刑判決が下っています。
もし、日本が中国のような国であったなら、安倍総理をヒトラーに模そうものなら、一発で逮捕でしょうね。
それからいけば、日本がどれだけ言論・表現の自由が保障されているか分かるというものです。
けれども、言論の自由が保証されているということは、当然、マスコミの報道についても、それを批判する自由が保証されているということです。代表的なのはネットでしょうけれども、その批判は偏向や捏造を指摘するものが主体であり、理由なく批判している訳ではありません。
確かにネットには罵詈雑言もない訳ではありません。けれども、証拠や説得力のない書き込みはスルーされ、反論されたりして、影響力を失っていきます。ネットユーザーという数の力でスクリーニングされているともいえ、その意味では非常に"民主的"でもある訳です。
何でも、ネット上で発信する情報の信頼性を担保するためのガイドラインを制定する業界団体「インターネットメディア協会(JIMA)」なるものが6月を目処に発足するようですけれども、いたずらに言論弾圧をする団体に成り下がらないことを望みます。
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