今日はこの話題です。
8月31日、自民党総裁選挙への立候補に意欲を示していた野田総務大臣は自らに近い、小此木国家公安委員長や浜田元防衛大臣らとともに、国会内で記者会見を開きました。
この中で、「立候補を目指して努力を続け、多くの方から支援を頂いた。極めて厳しい状況にもかかわらず、私を支えてくれた方への迷惑を考え、告示まで1週間あるが、本日、判断した。私の力不足だった」と国会議員20人の推薦人の確保が困難だとして、立候補を断念する意向を表明しました。
これで総裁選は安倍総理大臣と石破元幹事長の対決となることがほぼ確実となりました。
7割を超える議員票を確保し、着実に3選の足固めをする安倍総理に対し、石破氏は苦しい戦いを強いられています。政策論争に持ち込むかと思いきや"モリカケ"を蒸し返すなど、安倍総理の政治姿勢を争点化する動きを見せていたことに、党内からも批判の声が上がっていました。
総裁選での投票先を明らかにしていない竹下派の中堅衆院議員ですら、「石破さんの出馬記者会見をみると、正直引いてしまう。あれじゃ野党と同じだ。同じ党なのに、あんな人格攻撃みたいなことを前面に出してどうするのか」と言われる程です。
飯島勲内閣官房参与に至っては、週刊誌での記事で石破氏が掲げる「正直、公正、石破茂」のキャッチフレーズなどをめぐり「まるで学級委員の選挙だ……政策も政局も語らず、ただ反安倍を訴えるだけなら討論会もへったくれもない。立候補を辞退すべきだと進言したい」と批判しています。
こうした党内の反発に石破氏はブレブレ。
25日のネット番組で「スタートする時は変わるかもしれない。道徳の標語っぽいものがメインスローガンかというと違うかもしれない」と述べ、番組後、「人を批判するつもりはないが、そう捉える方もあるなら、変えることはある」と別のキャッチフレーズを掲げる可能性を示唆しました。
ところが、27日の政権公約発表の会見では「突然言い出した言葉ではなく、政治家になって以来の心がけ。人への批判ではなく、変えることはありません」とし、その上で「政策の議論をするに当たっては、スローガンは当然変わる」と述べたかと思えば、29日、記者団には「これを取り下げるならば、自分は自分でなくなる。それは絶対にしない」と強調。
もう変えるんだか変えないんだか良く分からないコメントをしています。
石破氏は、"モリカケ"を持ち出して、安倍総理の政治姿勢を批判していた積りが、自身の政治姿勢である、「正直・公正」の"心がけ"が批判される。因果応報というか、ブーメランというか。こんなところにも、"野党臭"が漂っているように感じますね。
30日、石破氏は、参院竹下派を纏める吉田博美参院幹事長と都内の日本料理店で会談。吉田氏から「水月会と我々で金足農業のように戦いましょう」と"さわやか"に政策論争に徹するよう求められています。
けれども、金足農業が人気を集めたのは、泥臭く9人野球を貫いて決勝まで勝ち上がってきた地元出身選手だけの公立高校が、全国から優秀な選手を集めた優勝候補筆頭の大阪桐蔭に挑むといういわば「判官贔屓」とでもいうべき構図があったからです。
それが石破氏に成り立つのかというと、現時点ではやはり厳しい。「判官贔屓」されるには、同情を集めるだけの何かがないといけないからです。残念ながら今の石破氏にはそれが見当たらない。
8月15日、安倍総理は日本財団会長の笹川陽平氏に招かれ山梨県鳴沢村の別荘で、総理経験者である森喜朗氏、小泉純一郎氏、麻生太郎副総理らと会食しています。
会食で森氏が「私が一番つらかったのは、細川護煕連立政権ができ、下野した際の幹事長時代だ。とにかく次から次へと自民党から人が出ていってね」とかつての自民党の権力闘争史に触れると、小泉氏が「そうだったよな」と同調。麻生副総理が「そういう苦しい時こそ人間性がわかるんですよ」と述べたそうです。
石破氏は、その"苦しい時"に自民党を出て行った一人です。いわば、9人野球で頑張っていた"金足"自民党に後足で砂をかけるように、他の"強豪校"へ転校していった過去を石破氏は持っているのですね。
そんな過去を詫びることもなく、安倍総理を批判し、今更"さわやかに"といわれても、党内は鼻白むだけでしょう。
逆に言えば、石破氏は政策論争で立ち向かうしか手はなく、その一点突破に掛けるしかない訳です。
ところがその石破氏が掲げる政策も、これまで述べてきたように「戦略の階層」が低く、戦略の"政策"レベルに達していませんから、日本国の総理に据えるには心許ないというのが正直なところです。
今後、石破氏はそれらに関しても修正を掛けてくるかもしれませんけれども、余程のことがない限り、今回は厳しいのではないかと思いますね。
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