今日はこの話題です。
自民党総裁選を巡って、一部マスコミのネガキャンが行われています。
朝日新聞は9月4日の社説で、自民党の総裁選管理委員会が新聞・通信各社に対し、「公平・公正」な報道を求める文書を配ったことを取りあげ、異例だと批判しました。
野党もそれに便乗して批判。
9月4日放送のBSフジ「プライムニュース」で立憲民主党の長妻昭氏が、自民党総裁選は公平・公正に報道しろと自民党がマスコミに通知を出したのは非常に不可解だと述べました。
ところが一緒に出演していた政治ジャーナリストの田崎史郎氏から、それは間違いで、6年前の自民党総裁選でも同じ文面の通知が出ていると訂正されました。
長妻氏は尚も、そういう通知を出すことが問題だと食い下がりますけれども、これまで全く問題にされなかったと窘められる始末です。
元々、「公平・公正」に報道することはメディアとしては当たり前のことで、言われるまでもなく守らなければならないものです。
取り分け選挙では、特定の候補者に有利にならないようより注意を払うのは当然です。
件の文書では、「各社の取材は規制いたしません」とした上で、インタビューや取材記事、写真の内容や掲載面積などに関し「必ず各候補者を平等・公平に扱ってくださるようお願いいたします」と記しています。
一般の選挙では選挙ポスターの大きさや掲載期間など細かく規定しています。自民党の総裁選管理委員会はそれに倣って、出来る限り公平・平等になるよう依頼を出したということですね。
それを朝日は批判する。朝日は「政党の代表選びは、国政選挙と違って公職選挙法の対象外にあるから、各報道機関は好き勝手に報じていいのだ」という理屈で批判していますけれども、政党の代表選びは国政選挙ではなく、公職選挙法に縛られない、というのであれば、自民党総裁選も一切合財密室で秘密裡のうちに決めてしまってもよいことになります。
それを自民党総裁選管理委員会は、取材は規制しない、と言っています。どちらの言い分が「平等・公平」なのかは明らかです。
朝日は件の社説で総裁選について「開かれた論戦を行うべきだ」と主張していますけれども、その口で、開ける窓の大きさは、朝日が自分の勝手で決めるのだと宣言しているのですね。このどこに「平等・公平」があるのか。
しかも、朝日はこの記事の一週間前の8月28日に、自民党が総裁選について、「公平・公正な報道」を求める文書を配布したと伝え、「同党によると、過去の総裁選でも同様の文書を配布しているという」と付け加えた記事を配信しています。
"~しているという"などと、わざわざ"伝聞調"にしているということはあとで追及されたときに言い逃れをするためにそう書いたのではないかと疑ってしまいますね。要するに中立を装うアリバイ記事だということです。姑息ですね。
どうも、反安倍界隈のマスコミは総裁選を"国民を無視した独断専行のやり方だ"と印象操作したがっているように見えます。
共産党の小池議員は自民党について「国民の多様な民意を反映する政党じゃなくて、本当にごく一部の極端に偏ったイデオロギッシュな集団になりつつある。これはちょっと危うい」などと批判したそうですけれども、共産党がそんな台詞を吐くとはどんなブラックジョークなのかと思ってしまいますね。
それをいうなら、役員を決める際、党中央へ批判的な者には投票権を与えない共産党が"極端に偏ったイデオロギッシュな集団"ではないことを証明していただきたいですね。
共産党はいうまでもなく、朝日も自分達が"反安倍に極端に偏ったイデオロギッシュな集団"ではないかと選挙の時くらいは自問自答してもよいのではないかと思いますね。
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