昨日のエントリーで、第一条二項の表現の自由を「誰が確保できるか」は、直接的には放送事業者のことを言ってるんじゃないかとのコメントを戴きましたので、それのお返事を兼ねてエントリーさせていただきます。



まぁ、他の法律でもそうなのですけれども、第一条はその法の目的について記しているケースがあります。放送法もそうですね。

放送法の第一条には「健全な発達を図ることを目的とする」と目的が記されています。

そして、その手段として"次に掲げる原則"、即ち第一項から三項(下記)があるわけです。
 一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
 二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
 三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
此処でコメントをいただいた第二項についてなのですけれども、確かにこの二項だけを見ると、表現の自由を確保するのは放送事業者である、と読めます。ただ「不偏不党、真実及び自律を保障する」ということは逆にいえば"他律的"であってはならないということを意味します。つまり放送事業者のやることに、外部の者が「口を出してはならない」ということですね。

けれども、一方で放送法第四条では放送の中身(下記)を規定しています。
 一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二  政治的に公平であること。
 三  報道は事実をまげないですること。
 四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
他者が口を出してはならない放送事業者にその放送の中身を規定している。放送事業者が真に"自律"していて、民主主義の発達に資するのならば、こんな文言は不要な筈です。

なのに、これが入っている。これをどう捉えるべきなのか。

これについて3月2日、法学や政治学などの専門家でつくる「立憲デモクラシーの会」が「放送規制問題に関する見解」を述べています。

その見解を掻い摘んでいえば、次の通りになるかと思います。
Ⅰ.従来、紙媒体と違って、放送については特殊な規制が許されるとされてきたが、近年放送メディアの増大と多様化によって必ずしもそうとは言い切れなくなっている。

Ⅱ.Ⅰの議論は民主主義国家では一般的に当てはまるものであるが、日本は放送法制の企画立案にあたる政府官庁が、同時に放送事業者に対する規制監督機関でもあるという特殊性がある。欧米諸国は放送法制の立案官庁と監督官庁はそれぞれ独立した別の機関があたる。
 そのような制度上の工夫がされていない日本において、番組内容にかかわる法(放送法第四条)は放送事業者の自主規律の原則を定めているものだとするのが学会の通説である。

Ⅲ.放送法4条が要求しているのは、党派政治の対立における公平性──不偏不党──であって、個々の政治的論点について、放送事業者が一定の立場を支持する報道をしてはならないということではない。論点の多角的解明義務に即して多様な立場を紹介した上で、特定の立場を放送事業者が支持することは、当然あり得る。
このように彼らは、放送法の立法に関わる官庁と、監督官庁が同じであることを理由に放送法第四条は「努力目標」であると言っているのですね。

戦後占領下の日本で、GHQはプレス=コードを発令し、新聞・ラジオ・電話などの検閲を行いました。表向きは「この規定は新聞に対する制限ではなく、自由な新聞のもつ責任とその意味を日本の新聞に教えこむためである」との趣旨で十項目の指針をだし、連合国・占領軍への批判を抑えこみました。その十項目は次のとおりです。
1 .報道は絶対に真実に即すること
2 .直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならない
3 .連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
4 .連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、又は軍に対し不信又は憤激を招くような記事は一切掲載してはならない
5 .連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載し又は論議してはならない
6 .報道記事は事実に即し、筆者の意見は一切加えてはならない
7 .報道記事は宣伝目的の色を着けてはならない
8 .宣伝の強化拡大のために報道記事中の些細な事項を強調してはならない
9 .報道記事は関係事項や細目を省略する事で内容を歪曲してはならない
10.新聞の編輯に当り、何らかの宣伝方針を確立し若しくは発展させる為の目的で、記事を不当に軽く扱ってはならない
放送法は1950年に制定されたのですけれども、「不偏不党」という文言は1948年に国会に提出された放送法案に既に入っています。この1948年時点での放送法案の第四条は次のとおりです。
〇放送法案(1948年6月18日国会提出)

(第一章 総則)

第四条 ニュース記事の放送については,左に掲げる原則に従わなければならない。
一 厳格に真実を守ること。
二 直接であると間接であるとにかかわらず公安を害するものを含まないこと。
三 事実に基き,且つ,完全に編集者の意見を含まないものであること。
四 何等かの宣伝的意図に合うように着色されないこと。
五 一部分を特に強調して何等かの宣伝意図を強め,又は展開させないこと。
六 一部の事実又は部分を省略することによってゆがめられないこと。
七 何等かの宣伝的意図を設け,又は展開するように,一の事項が不当に目立つような編集をしないこと。

2 時事評論,時事分析及び時事解説の放送についてもまた前号各号の原則に従わなければならない。
一見して分かるとおり、この時点での放送法案第四条は、GHQのプレス=コードのまんまパクリです。意地の悪い見方をすれば、GHQがプレス=コードを出したことをいいことに、政府が自分達の批判を抑え込む手段にしようとしたと言えなくもありません。

この時、放送法案の88条に「風俗を害する」放送への罰則規定が記されていたのですけれども、4条の「公安を害する」放送に罰則規定はありませんでした。当時の国会でもここにツッコミがありました。次に引用します。
(新谷寅三郎参議院議員) 風俗を害さない,ほかの公安を害する行爲に対しては,何故罰則をお附けにならなかつたのか,そういうことはあり得ないというお考えでありましようか。
(鳥居博逓信省臨時法令審議委員会主査) 第四條そのものはニユース記事の眞実性を守らせるという一つの道義規定でございま して,(中略)何か法安を維持するのは,こうだという昔の治安維持法のような法律でもございますれば,公安の概念は極めて明確に相成りますが,現在日本に置きましては,そのような意味での公安を規定した法規は存在しないのであります。從いまして罰則におきましては,概念の明確な風俗壞乱だけに限定いたしました。
このように"公安"を規定した法規がないという理由で、風俗壞乱だけに限定しました。

ところがこの法案はそのGHQに駄目出しを食らったのですね。

駄目出しをしたのは、GHQの法務局(LS:Legal Section)でした。LSは日本政府に法案の修正勧告を出しました。次に引用します。
〇LSの修正勧告(1948年12月2日)
第四条 A この条文には,強く反対する。何故ならば,それは憲法第二十一条に規定されている「表現の自由の保証」と全く相容れないからである。
現在書かれているままの第四条を適用するとすれば絶えずこの条文に違反しないで放送局を運営することは不可能であろう。反対の側から言えば,政府にその意志があれば,あらゆる種類の報道の真実あるいは,批評を抑えることに,この条文を利用することができるであろう。
(中略)
C 言論の自由抑圧を一掃するため,L・Sはこの第四条の全文削除を勧告する。何故なら放送の本来の目的は,「不偏不党」をも含めて第三章第四十六条,第四十七条で尽されているからである。
このようにLSは放送法案第四条のうち、「プレス=コード」に類した項目の削除を求め、更に88条についても「風俗壊乱」の意味があいまいだと指摘して削除を勧告したのですね。

結局、放送法案から「プレス=コード」に相当する第四条は「運用を失すれば思想統制機構を再現し,放送を権力の宣伝機関としてしまう恐れがある」として削除、罰則規定も最終的に外されることになりました。

これについて、日本のマス・メディア史に多大な功績を遺した、故内川芳美は、「LSの修正勧告は、その後の日本の放送における言論・表現自由の制度的枠組を固めたものとして極めて大きな意義をもつものであったということができる」と評価しています。

こうして、1950年に放送法が成立したのですけれども、このとき電波法、電波監理委員会設置法も成立しています。これら三つの法案は電波三法と呼ばれるものです。

ここで、電波監理委員会設置法というのは、GHQの意向を受ける形で「放送」を権力の直接的な影響下から切り離すという目的で設置された独立行政機関です。電波監理委員会はその名のとおり電波と放送を監督する第三者機関でした。

国会の同意を得て内閣総理大臣が任命した委員長1人及び委員6人で構成されましたが、委員会のメンバーからは国会議員や政党役員は排除されるなど、政治権力とは距離を置いていたのですね。

先の「立憲デモクラシーの会」が、欧米諸国は放送法制の立案官庁と監督官庁はそれぞれ独立した別の機関があたると述べていますけれども、この当時の日本も、放送法制の立案官庁と監督官庁は独立していたのですね。

ところが、1952年、日本が主権回復すると、この電波監理委員会設置法は、郵政省設置法の一部改正に伴う関係法令の整理に関する法律により廃止され、電波監理委員会は郵政省に統合されました。ここで、放送法制の立案官庁と監督官庁が一つになります。

こうした過去の流れを追っていくと、"御歳を召した"TVキャスターが異常な迄に停波に反対するのも「公権力による弾圧」の影を感じるからなのかもしれません。

では、大元に戻って、学会の通説では努力目標とされる放送法第四条を明らかに守っていないと思われる放送に対して罰が与えられるべきなのかどうか。

筆者としては、何らかのペナルティがあってしかるべきだと思います。ただ、その罰を与える主体が監督官庁だとか、第三者機関なのかという議論は当然あると思います。ただ、放送が"公(おおやけ)"のものである以上、その「品質」は保証されなければなりません。

他の業界では、自分が販売している商品に欠陥があることが分かったら、即座に回収し、お詫びと補償(無償交換)をするのは当たり前です。なぜかその当たり前が放送に関してはとても緩いように感じます。

捏造報道は、本来市場に出してはいけないものであり、欠陥商品そのものです。

今のBPOがその役目を十全に果たしていない、或は果たせないのであれば、監督官庁並の権限を持たせるなり、何等かの対策を考えるべきだと思いますね。

コメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. ちび・むぎ・みみ・はな
    • 2016年03月09日 12:04
    • 自由・人権は「国民の義務」を守らないところにはない.
      そして, 国民を罰するのは国民の信託を得た政府以外にはあり得ない.
      「自由」・「人権」が出てくると我々は複雑に考える傾向がある.
      それは, これらの言葉には「自分を中心とした定義」しか
      ないからだ. 特に「自由」はそうである. 自由と言う日本語は
      そもそも道理に従わない悪党の振舞いを指す言葉である.
      こんな言葉を使わざるを得ないことからして怪しいものだ.
      それはそうと, 「正論」4月号に中村仁信大阪大学名誉教授の
      寄稿があるが, 科学的議論とはこの様なものだと思う.
      「自由」・「人権」と聞くと「放射能」を思い出したのだが,
      それはこれらに関する多くの議論が科学的ではないからだと思う.
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    • 2. ミモロン
    • 2016年03月09日 20:54
    • 公平性の確保は、なかなかムツカシイ事だと思います。
      いつだったか加藤AZUKI氏がツイッターで論じておられましたが、ハイテク化が進んだ21世紀は、20世紀の頃に比べると、「各分野における高度化&分業化による情報分断」という要素が大きくなっているそうです。
      報道機関の中で、「その内容が公平性・正確性を持っているのか」を判断する人材が居なくなっているらしい、というのも、案外、真実であるように思われます。
      第三者チェック機関にしても、この辺を考慮する必要があるのかも知れません。
      ※風評被害は、「その内容が公平性・正確性を持っているか(あるいは科学的に適切か)」という判断を欠いたところで、えらく拡大するという形になりますので…(どちらかというと、心理的影響が強いみたいですが)
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