今日はこの話題です。



4月4日、自民党の岸田政調会長は会見で、政府内の一部で浮上している放送法の改正について「自民党内の議論のテーブルに上ってきていない」としつつ、「技術の飛躍的進歩で、放送と通信の垣根が曖昧な現状に対してどう対応するかだ……単に技術的問題でなく、言論や民主主義の問題にもかかる議論でないかと受け止めている」と指摘し、「放送法の役割、政治的な公平性、公序良俗の維持といった役割にも思いをめぐらし慎重に議論すべき」だと述べました。

特に焦点となっている、政治的公平性などを規定する放送法4条の撤廃について、政府は「具体的に検討を行ったことはない」との答弁書を閣議決定していることを考えると、岸田政調会長のいうように自民党内の議論のテーブルに上ってきていないというのも本当かもしれません。

ただ、その答弁書は具体的に検討したことはないというだけであって、検討しないとはいっていません。ですから状況によっては一気に具体的に加速することも有り得ます。

放送法4条の撤廃について、専修大の山田健太教授は「4条を撤廃すれば一時的に安倍政権への賛成報道が増えるかもしれない……多様な意見を伝える公共的なメディアが失われ、社会の分断を招く」と述べていますけれども、今現在、果たして多様な意見を伝えているのか疑問です。

先日、TOKYO MXテレビの「激論サンデークロス」に出演したケント・ギルバート氏は、公平性について問われ、「異なった意見を数多く取り上げる事」とコメントしています。これについてキャスターから「今のメディアの状況は?」と重ねて問われると「偏ってる。異なった意見を全く出していない、例えばこの曜日にやってる代表的番組。特に報道番組が酷い……報ステ見ればわかるでしょ」と一刀両断しています。

また、青山繁晴参院議員もある番組で、放送法4条撤廃で極右の番組が増えるとの批判もあるとのコメントに対し、「今、極左じゃん」とバッサリ。同じ番組に出演しているジャーナリストの有本香氏も「一つの番組で完全な中立は無理だからチャンネルを増やし視聴者が選べる環境が必要。キー局が電波という国民の財産を独占して毎日同じ内容を流す。これでは民主主義は正常に機能しない」と指摘しています。

筆者も何度も述べてきましたけれども、この有本氏の意見と同じ意見です。

多様な意見を取り上げることなく、一方的に偏った意見のみを流すことを「意図して」やっているとしたら、それは報道する側が「それだけを国民に聞かせたいと思っている」ということです。

あるテレビ局の社長が「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです」とか「社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配するわけです」と言ったなどという話も一部に知られていますけれども、本当にそう考えていたとすれば、多様な意見の報道など夢のまた夢です。

森友問題を巡っての国会質疑で太田理財局長が「公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なんで」と述べたことがありましたけれども、これを捕まえて、TBS「報道特集」で金平茂紀キャスターは、「報道が仕えているのは国民にであって政府にではない、公務員も同じです。あの佐川宣寿前理財局長に是非とも聞かせてあげたいセリフだと思いました。」と述べました。

けれども、政治家は国民によって選ばれ、政治を付託された人達です。公務員がその政治家に仕えるということは、間接的に国民に仕えているということになります。

では、翻ってマスコミはどうかというと、いうまでもない。国民に選ばれた存在ではありません。ただの民間業者に過ぎません。その一民間業者が一体、何の権限を持って自分達の勝手な意見を国民に押し付けることが出来るのか。

もう十年近く前から何度も述べたことがありますけれども、マスコミが自分達が国民に仕えていると、本当にそう思うのであれば、自ら選挙によって国民に信を問わなくてはなりません

自分達がいくら「公平な報道をしている」と口にしたところで、国民はそう受け取っていない現実がある訳です。であるならば、総選挙の時にマスコミ各局は国民の信任投票を受ける必要があります。彼らのロジックではそうなる筈ですね。

そういう提案もせず、かといって自由競争を促す放送法改正にも反対する。何のことはない、自分達の既得権益を守りたいだけにしか見えないですね。

新聞、テレビの世論調査と、ネット世論調査との間に大きく乖離がみられる現象も今や当たり前になりました。世論の健全な発展と民主主義を十全に機能させる為に、既存マスコミは今のままでは生き残ることは出来ないと知るべきだと思いますね。
 

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